京アニ放火事件に思うこと
2019年7月18日は、アニメ史上最悪の日になった。
京都アニメーションがアニメ界に与えてきた影響力は、おそらくアニメに興味の無かった人が想像しているより遥かに大きい。
ひとつの会社が壊滅的被害を受けただけでなく、日本アニメ界全体として激甚なる損害だ。
自分の心境としては、悲しみと喪失感が大きすぎて、犯人を憎む余裕すら無いというのが正直なところだ。
どうしてこんな狂人が生まれてしまったのだろうか
犯人は、発達障害からくる精神疾患を患っていて、過去にも何度も警察沙汰を起こし、出所してからの更生施設も抜けて生活保護を受けて一人暮らしをしていたという。
生活保護でもらったお金で、今回の犯行に及んだガソリンを買っていたとしたらむなしすぎる。
我々は何のために税金を払っているのだろう。
実のところ、生活保護法が定められた昭和25年の国会答弁で、当時の厚生大臣はハッキリと「犯罪抑止のため」と言っている。
つまり、ロクデナシを野放しにすると犯罪を起こすから、ある程度の生活を保障してやることで犯罪者の発生を防ぐ。というものだ。
今の国会でこんな発言をしたら、ポリコレ警察にリンチされて社会的に抹殺されてしまうだろう。
だが、社会に恨みをつのらせて凶行に走るものを防ぐためにも、見捨てられた「無敵の人」を生み出さない仕組みは必要だと思う。
孟子の言葉にも「恒産ある者は恒心あり。恒産なき者は恒心なし」とある。
自分の生活を支える職業を持つものには、悪に流されない強い心がある。
定まった職業を持たないものは、その心が無いから何をしでかすかわからない。
行き過ぎた自由主義、個人主義の蔓延で、日本全体が不寛容で思いやりの無い社会になっている。
皮肉にも、今回のような悲劇が起こったことで、被害者の京アニに対する思いやりあふれる行動が各地で起こっている。
だが、失われたものはもう戻ってこない。
次なる悲劇を防ぐためにも、私達ができることは、少しづつでも思いやりをもつこと。
恵まれない人に手を差し伸べる、社会はみんなで助け合うものだという気持ちを持つことだと思う。